毎日ブログチャレンジ! 7日目
毎日ブログチャレンジ! 7日目
今日のお題:「客観的」に考える
毎日ブログチャレンジと称して本来の7日目である昨日は書き損ねてしまった。
あくまでチャレンジであって、好き勝手に書く楽しさを感じている私は気にせず今日を7日目として続けていこうと思う。
図々しくて申し訳ない。
言い訳はさておき、今日のお題について触れていこうと思う。
今回も実に抽象的である。
自分でいうのはおかしいと思われるかもしれないが、私は割と客観的に物事を見れるタイプであるように思える。
話し合いをするときは話が脱線していることによく気付くし、面接ではすさまじく緊張していながらも相手の話す内容等に心の中で突っ込んでいたりする。
得意とまではいわないが、状況を俯瞰してみる感覚を持っていると自負している。
逆に言えばあまり感情的にならない。
もちろん嬉しいことがあればすごく喜ぶし、嫌なことがあればかなり落ち込む。
しかしそれらの感情は相手に伝わりやすくはないように思える。
本題ではないのでこの件に関してはさらっと流すが、自分の中の好き嫌い、いくつかの感情を自分の中で理解しているので十分だと私は考えている。
なぜ今回このお題にしたかというと、キングコングの西野さん著「夢と金」の紹介動画をYouTubeで見たからである。
先に行っておくと、この本でいいたいことが物事を客観的に見ろとか言うものではない。
この書籍を読んだわけではないので、確かなことは言えないがもっと素晴らしい&現実に目を向けた内容が書かれていることだろう。
そのYouTubeで紹介されていた本の内容の一つに、「高価格帯にクレームを入れるやつはバカ」というものがあった。(西野さんは怒らないで付き合って欲しいと前置きをきちんといれているらしい)
この話は、非常に納得のいくものでありつつ、ビジネスとはこうやって成り立っているのだと改めて教えてくれる内容だ。
そこで私が思ったのは、感情をストレートに吐き出すのは簡単。そして何を感じようがそのこと自体は悪いことではない。ただそのままで終わるのではなく、そうなっている理由を考えたり、別の視点で見れる知識と冷静さを持っていることが非常に大事だということだ。
最初に自分は物事を客観的に見れるタイプであると豪語したにもかかわらず、自分にはこの考えはなかった。(お恥ずかしい)
高価格帯に手を出せる人すごいなー。羨ましいなー。位に考えていた。
非常に恥ずかしくなった。
なのでこの話と物事を客観的に考えることは別の話になるかもしれないが、とある物事・状態に対して1つの目線でしかものを考えられないのは非常にもったいないと感じたのである。
それをどうにか言語化したいのだが、うまくできずに今日のお題の「客観的」という言葉が出てきた次第である。
少し別の話になるが、私の最も大切な人はこんなことを言っていた。
「人間は知識を得るほど人にやさしくできる」
果たしてどういうことか分からず、さらに詳しく聞くと、
「知識を得ると自分はなんて無知なんだろうって気持ちになる。そしたら周りの人がどんな考えでどんな感情になっているか分かるわけないんだから、相手の一部しか知らないんだと思えば怒りを覚えることはない。」
と言っていた。
正直これを聞いても私は知識を得る=人にやさしくできるが直接成立しているようには思えないが、その人は本気でこう思っているらしい。
これを本気で思えるのがその人の魅力であり尊敬するところでもある。
ちょっと話がずれたが、つまり言いたいのは物事を直接的に見る・考えるだけではもったいないということだ。
知識を得ることで仕事に役立てよう、生活をもっと豊かにしようなど知識そのものを活用しようとする人は多いと思われるが(もちろんそれも大切なこと)、そこから何を自分に還元できるか、自分はどう変わるのかを考える人はあまりいないように思える。
どれが正解だとか、良し悪しの話ではないので、こんな考えもある程度に流してもらって構わない。
もう一つここから派生する話をすると、「普通じゃつまらない」という考えが根本的にあり、別の視点から考えようとしたときに客観的に物事を見るクセが私にはある。
(普通とは?の話は一旦置いておく)
グループ面接をした時も、他の受験者の話を聞きながら、「みんなこの視点で話してるから自分はこの視点で話そう」だとか、「よくある回答をしてもつまらないから、あえて別のところからアプローチしよう」と考えて話していた。
若干ひねくれた性格である自負があるものの、この考えがあるおかげで物事を多方面から見ること・見れること大切さを知っているのだと思う。
正直私は圧倒的に知見がたりず、未熟者であることは明白であるが、客観的に物事を捉えることの意味を多少は知っているつもりだ。
さらにその考えは、「知る」ことで伸びるものであるとも考えている。
このように難しく考えずに生きたいという人・それが自分らしくて楽しいという人はもちろんされでいいのだが、私はどこか俯瞰した考えを常に持ち続けたいと思っている。